昨日の朝生、いま録画分視聴し終わりました。
田原総一朗が「国を守る義務が国民にあるのか」と問いかけたら、山本一太や三浦瑠麗が、あわてて火消しするかのように、そんなことを言ったら国民に死ねと言うのと同じなので決して名言しません!と総がかりでごまかしにかかっているのが、笑えるととともに、こうした本質的な問いかけが、いまであっても田原総一朗クラスの司会者だからこそ直言できることであり、とはいえ言ったそばから場を緊張させてしまうことなんだなという思いを新たにしました。
山本一太が「国民に国を守る義務があるかどうかは明言できないが、国は国を守る義務がある」と言っていたのが、本当、わけがわからない!と思いました。
じゃ国を構成しているのはなんなんだ。
森本敏は「国を守る義務は国民にあると憲法に書くべき」と発言しましたが、憲法に書くことで国民は国を守らなければならなくなるのでしょうか。
それって、順序が逆じゃないか?……と思いました。
田原総一朗が「国を守る主体は国民にあるよ。あるに決まってるじゃないか!」と言いましたが、この覚悟を問うというプロセスを空白にしたままの議論は、即欺瞞であると認識できた一夜でした。
ウーマン村本は、モリカケ問題を「探偵ゴッコ」と切り捨てるなど、「若者(といっても彼は三十代後半だけど)は難しいことわかんないから単純化してよ!」というポーズがときどきイラッとさせられ、さらにそれを同世代のおねえさんぶってことあるごとに掬いあげようとする三浦瑠麗に鳥肌が立ちましたが、しかし「自分は戦争に行くこともない年寄りに言われても納得できない」という言葉は、これはやっぱり、上の本質的な部分を空白にしてるからこそ起こる疑問だなと思いました。